英語の勉強について考える〜英語との出会い:小学5年生〜

こんばんは。今日は、朝から仲良しのお友達とお腹を抱えてカフェで笑い、楽しい英会話グループレッスンと、恒例の英語好きのお友達に会えるTOEIC勉強会と、とっても楽しい一日を過ごすことができました。日々、色々な経験をさせていただけることが、すごく勉強になり、また学びがあり、さらに改善するために、何が足りなくて何をすればいいのか。常にたくさんの課題があるということが、私にとってはとても幸せなのだと気付いたような気が最近します。こんな私と関わってくださっている皆様、ブログを読んでくださっている皆様、どうもありがとうございます。

今日は、英語の勉強に対しての想いをひたすら綴らせてもらおうと思います。すみません、英文は一切ございません。> <

英語の勉強は、
山道をひたすら自転車で駆け上るイメージ?
足を止めると、ゆるやかに後転して、
一度休むと駆け上がる時に勢いが必要で、
でも登り続けると確実に見える景色が変わっていく。
でも、仲間がいると
励ましあいながら楽しく登っていけて、
気が付いたら駆け上がっていくのが楽しい。
終わりのない山道…

英語との出会い

私は、もともと運動が大好きで、毎月運動会がある運動系幼稚園で、真冬でも一人だけ半袖半ズボン、小学校でも男子の中に女子2〜3人で加わりドッチボールが生きがいで、家に帰ってランドセルを玄関に投げ捨てて、近所の大きなお兄ちゃんを片っぱしから呼び出して、ドッチボール練習相手をお願いして、ドッチボールが強くなりといと、ただそれだけを願う子供でした。

そんなドッチボール命の私が、小学5年生の6月頃、突然、親から「夏からアメリカという国に行く」と告げられ、週に一回隣町の外国人の先生の所に通い、ABCの歌を歌わされ、英語でキラキラ星を歌わされ、そして、気づけばそのレッスンも4〜5回で終わり、ABCの歌を最後まで歌えないまま、アルファベットも全部書けないまま、異国の国、アメリカ南部のテキサス州のヒューストン市に、舞い降りたのでした…。そして、小学五年生ならElementary 5th gradeからスタートして、その翌年から、Middle Schoolで6th~9th gradeを経験するはずだったのですが、家の目の前にMiddle Schoolがあるというだけの理由で、親がMiddle Schoolに私を連れて行き、校長先生にお願いしたら、なぜかOKが出てしまい、小学5年生から突然Middle Schoolにぶちこまれたわけです。

突然の中学校入学、突然自分の世界が英語になる体験…。

色んな小学校から中学に集まってきたので、みんなドキドキワクワクしながら、友達探しをしているアメリカ人女子達に、” Hey, xxoxoxox ox%oxox oxo%xoxox oxox?”と話しかけられ、何を聞かれているかもわからない、そしてなにより、この国にドッチボールはないのか?(当時、ヒューストンの私の行っていた学校には少なくともなかったのです。バスケットボールばかり。。。)という、ことを薄々気づき始めた私は、「なんてところにきてしまったのだろう〜〜〜〜。。。」と戸惑いながら過ごしていました。決して大人しい性格ではないが、話せないから静かな子と認識される、めっちゃ笑顔で話しかけてくるアメリカ人に、笑顔で返せないことにも困り果てて、気づけば、「え、、、話しかけないでほしい」と思っていた時期もあったともいます。

やがて、ESLという英語が第二ヶ国語の生徒向けの英語を教えてくれるクラスで、居場所を見つけていくことになるのですが、体育、選択科目、算数だけはなぜか最初からネイティブの子と同じクラスには入り、算数でいうと計算問題は誰にも負けないが、計算問題を朗読させられたら手汗が止まらない、文章問題になると一気に点を取れなくなるという事態が…。そこで、ドッチボール少女は、この上ない高い壁にぶち当たることになるわけでした。。。そこから、算数の宿題のプリント一枚解くのに、与えられた辞書2冊「和英」と「英和」(当時インターネットで検索とか、電子辞書などはなく…。)だけを頼りに、ひたすら、算数の文章問題の言葉を一語一句を辞書でひくこと3〜4時間…。ドッチボール三昧の時間が、全て英語の辞書引きの時間となり、8時には寝ていた子供が、毎晩12時までひたすら辞書を引いて、文章問題の内容を推測する、答えをだしてみる、、、という修行の日々が始まりました。

海外に住むこと事態実は2回目…

前に私のプロフィールのような内容の記事をご覧下さった方は、おぼえてくださっているかもしれませんが、私は1歳から3歳をイギリスのロンドンで過ごしました。完全家で過ごし、「ダイナマン」(戦闘系)のVHSを繰り返し家で見続けていたので、完全日本語の世界でした。ですが、同時に母親も、理数系で薬剤師の経験があり、算数理科は得意でしたが、英語は全く。。。ですので、ロンドンでの3年間は、私と母親にとっては、特に何の武器にもなっていなかったわけです。

生活が一変…。

アメリカに来た小学5年生の私は、一番時間がありそうな母親に、算数の宿題を聞いても、母親は英語ができないから自分で解かないといけない、姉はイギリスで小2まで現地校に行ってたから、英語ができたのですが、なんせ、中学三年生から突然アメリカのハイスクールに入り、それこそ宿題が山のようにあり、姉は自分でいっぱいいっぱい。。。、そして、父親はというと、2度目の駐在で今思うとそこそこの責任者的な役職だったのかな?仕事が忙しくて24時を過ぎることが多く、さすがに、それを待つほど体力もありませんでした。

みゆき小学5年生、途方に暮れる…。人生の山場…。 (大げさ?!)

思いっきり窮地に立たされるわけですが、小学5年生の女子です。今思うと、反抗期、思春期の難しい時期でもあり、やはりネイティブのクラスで、大勢の前で恥をかくことは、なるべくしたくない、周りの目も気になる時期に既に入っていました。そこから必死に、英語を辞書で引く日々が続き、気づけば辞書を引くのがめっちゃ早くなってました。

現地校での最初の一年

そんな、ESLのクラスと、残りの算数と体育と選択科目でとっていたオーケストラでのバイオリンの時間はネイティブの中に混ざっての日々を過ごした一年で、私はこんなに人生で勉強することはないのではないか?というくらいの、時間を英語に費やし、そして、少しずつ理解する楽しみと、なんとなくこんなことを言っているのではないかという予測力を身につけることになるのです。最初の一年は、予測力、その確率を上げていく、間違いを繰り返しそこから学ぶ、恥をかき、そこから学ぶ、そんなことの繰り返しでした…。

英語のできない母親について当時思ったこと&今思うこと

今思うと、母親があてにならなかったことは、自分のためにはすごく良かったのかと思います。私の場合、頼る人がいると、きっと自分では調べなかったし、すぐに答えがわかれば、それは決して身につかなかったと思います。そして、同時にそんな窮地でも、決して母親が英語ができないことを、馬鹿にするような思いには不思議と一度もならなかった気がします。それは、子供の方が吸収が早いし、大人のほうが覚えるのが難しいということを、どこかで理解していたように思います。(ひょっとしていたら母親がそんな言い訳をよくいってのかもしれませんが。笑)まあ、せめてもう少し英語ができる母親だったら、あんなにもストレスは感じずにもっと一年目を楽しめたのでは?という気持ちも一方でありますが。

それよりも、今思うと、母親に感謝することは、当時ネイティブの英語の先生を週に一度だけ、家庭教師としてつけてくれて、英語の朗読の仕方や、宿題のやり方などを、じっくりマンツーマンで教えてもらえる時間をもらえたことです。その際に、英語の読み方、時には、学校での悩み相談など、やさしく話し相手になってもらい、毎回レッスンが楽しかったのを覚えています。

子供は慣れていく、親がしなかったらできるようになっていく

今思うと、子供の順応力というのは、親の想像を遥かに超えていて、どちらかというと、当時の私には母親の英語力よりも、英語を学ぶ私に対する気持ち的なサポートだったり、励ましだったり、そして、本当に英語がわからなくて混乱して荒れた時には、自分でも英語を調べようと一緒に座って夜中まで辞書引きを助けてくれたその姿勢が、嬉しかったことのように思います。

そして、今の自分が当時の母親の立場で、駐在が決まった時にするべきことは、決して外国人の先生にABCの歌とキラキラ星の歌を教えてもらうことではなかったことだけは、強く思います。どちらかというと、最低限アルファベットは全て大文字小文字で書けるようにして辞書の引き方も知っておくに越したことはないですが、それよりも、海外の学校に入ったらどんな生活になるか、算数は最初から英語で授業が始まるから、その時に出てきそうな算数の最低限知っておくと便利な英単語、日本の学校とアメリカの学校の違い、考え方の違い、英語のテクニックも必要ですが、それよりも生活環境のことを知った上で、どうして英語をこれから学ぶ必要があるのかということを知っておきたかったと思います。

あくまでも私の体験による勝手な考えです^^;

以上、今日は、アメリカに行く前、アメリカに行ってから最初の一年、その中で、何を感じ、英語と向き合うことになったのかという体験をもとに、いち経験談として、なんとなく、何かの意味があればいいなと思い、書かせていただきました。時代背景もだいぶ違いますし、今のお子さんならネットで検索して、宿題もスラスラ解いてしまうかもしれませんね。でも、何かヒントになることがあれば、と、突然思い、赤裸々に公開させていただきました。恥ずかしくなって、後日この記事を削除していたら、すみません。笑

今日もありがとうございました。

今日も最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。あれから2X年以上たった今でも、こうして英語の勉強が楽しいこと、そして、言語の習得に終わりがないこと、勉強を続けることの難しさを身を持ってしっているからこそ、続けている人努力している人のことを、とっても心から尊敬できること、そして、一人で学ぶより仲間と一緒に学ぶと楽しいしモチベーションが上がること、それらを、またこの8ヶ月間の駐妻英会話勉強会、TOEIC勉強会、駐妻英会話レッスン、駐妻英語ブログやインスタを通しての活動で、再確認させてもらえたことに、感謝の気持ちで一杯です。

では、素敵な金曜日をお迎えください⭐️Sweet dreams⭐️

ランキングに参加しています。少しでもこのブログの情報がお役に立っていましたら、下のアイコンをクリックしていただけますと、大変励みになります。

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外駐在妻へ
にほんブログ村

このブログが、少しでも何かお役に立っていましたら、是非上と下のアイコンに応援のクリックをお願いします!

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

また、現在オンライン子供向けのレッスンを受講中の生徒さんとお母様が、レッスンに対するコメントをくださいました。参考に、こちら是非ご覧ください。大人の生徒様から前にいただいた感想もこちら(その1その2その3)です。

英語講師:みゆき

私はイギリスに幼少期、アメリカには小学5年生から4年間住んでいた帰国子女です。大学では、英語教授法を学びました。外資系で13年勤務し通訳学校に通いながら、社長や役員の英語通訳を任されました。その後、主人の海外転勤に家族で帯同して5年間フィリピンのマニラで過ごしました。息子2人の育児に追われながらも、大好きな英語で少しでも生徒さんの英語力UPに貢献したく、毎日学びを続けています。現在は、オンラインで帰国子女(小学生〜大学生)、駐在妻の生徒さん中心に、完全プライベートオーダーメイドレッスンを指導しています。現在平日の日中の枠に若干空きがあります。

資格:英語教員免許、TOEIC970、SIMULビジネス通訳修了

コメントを残す